はじめまして!毒親生まれ、宗教2世・ 機能不全家族育ちで アダルトチルドレンの40代うつ病シングルマザー・むいです。
よろしくお願いします!
私は 毒親 のもとに生まれ、 宗教2世 ・ 機能不全家族 で 搾取子 (さくしゅし) として育ち、アダルトチルドレン (当時はこんな言葉を知りませんでしたが…)になりました。
2023年、人生何度目かわからない大きな変化に直面…
自分の経験を書き出すことで気持ちの整理をし、自分を変えたいと思い、ブログを始めます。
※実体験を書きますが、個人情報にはフェイクが混じることをご承知おきください。
生きづらさを感じる人、家族のことで悩む人、自分を責め続けてしまう人へ
人の経験は十人十色で、全く同じ経験をする人はいません。
明らかな暴力、 ネグレクト 、虐待などで苦しんでいる人以外にも、言葉の暴力や差別で傷つき、生きづらさを感じ、自分を責め続けてしまう人もいます。(私のことです)
そしてそれらのことを目にみえる「暴力はなかった」と比較し、「育ててもらったから」「家族だから」などというフィルターで見えにくくし、目を逸らし、「自分がおかしかったんだ」と苦しさを助長させてしまうのです。
そんな方々に、少しでも私の経験が、役に立たなくても「こんな人もいるんだ」と思っていただければいいな、と思います。
【実体験】幼少期の経験は、人格形成・人生に大きな影響を与え続ける…
毒親、宗教2世、搾取子、機能不全家族…私の経験
私の両親は同じ宗教を信仰しており、いわゆる宗教2世として生まれました。
親は「宗教を信じていれば幸せになれる!」と言うのですが、幼い頃から両親の不仲を見ていた私はいつも思っていました。
どうして幸せになれる宗教を信じているのに、うちは幸せじゃないの?
どうしてお父さんとお母さんはいつもケンカしてるの…?
母は父の悪口を言い、娘にだけイライラをぶつけ、「子どもなんて1人でよかったのに!」と私の存在を否定しました。
父は仕事でほぼ不在、家にいても高圧的な態度で、両親は夜中によくケンカをしました。
引き戸1枚をへだてた部屋で怒鳴り声を聞き、布団の中で寝たふりをし続けました。
両親とも今でいう 毒親 で、我が家は 機能不全家族 で、私は 搾取子 だったのです。
今のようにすぐネットで調べることができず、 家父長制 の昭和的価値観が強かった時代、私には知るよしもなかったのです。
小さなこどもって、どんな親でも親が好きで、親が絶対で、自分を認められたいんですよね。
だって1人で生きていけないから。
親は子どものこと、私のことを愛している、と信じて自己肯定したいから。
いつからか、こんなふうに思うようになりました。
- 私がいけないんじゃないか
- 私がもっと頑張れば、うまくいくのではないか
- 私が我慢すれば、幸せになれるんじゃないか
お手伝いをしたりしたり、「良い子」でいようと努力し、親が望まぬ言葉は口にせず、自分の本心は隠し、勉強も頑張りました。
でもいくら私が頑張っても家の中はギスギスしている。
うまくいかない、幸せになれない。
- 親に言われたとおり宗教を信仰しているのに、どうしてなんだろう…
- 私の頑張りが足りないからダメなんだ
思春期を迎えるころからどんどん自信を失い、自己肯定感が皆無に。
誰にも相談できない、わかってもらえない、と孤独感を感じました。
次第に心身にも大きな影響が出て、ずっと空回りしているような感覚。
世の中に馴染めない…自分が悪いんだ、自分がおかしいんだ、と生きづらさを感じるようになったのです。
毒親育ちのアダルトチルドレンが、人生の大ピンチで気づいたこと
30歳になったとき、あるきっかけで私は身の危険を感じるようになり、初めて相談機関へ行きました。
それまでにも様々なことがあったけれど、家族のこと、家の中で起きていることを第三者に話すという発想が全くなかったのです。
相談員の方にこう言われました。
あなたが受けているのは精神的虐待ですよ。
そういうタイプの相手は絶対に変わりません。
相手とは話合いができません。
あなたは逃げるか、そのままガマンし続けるしかない。
どうするかは、あなたが決めてください。
目からウロコの言葉でした…
私は精神的虐待を受けているの…?
(今は「心理的虐待」と言うようです)
物理的な暴力を受けているわけではないけど、これは虐待なの…?
そこで初めて「精神的虐待」という言葉をガラケーで検索し、あまりにも自分の置かれている状況と酷似していることに驚きました…
知識はあるつもりだったのに、まさか自分が当事者になっていたとは考えもしなかったのです。
これまでの経験や思考には、機能不全家族で育ったアダルトチルドレンの生きづらさが根底にある、と初めて気づいた瞬間でした。
専門知識があり、経験豊富な相談員の方に出会えたおかげで、私は生きづらさの原因を知り、自分を変える(行動する)キッカケになりました。
相談に行ったあと、別の信頼できる人に話をしたとき(専門家ではない)に
もっと大変な人だっているんだから、もう少しガマンすれば?
とも言われショックを受けました…
さらに、これまで様々な相談先でこんなことを言われました。
- 肉体的な暴力を受けていないから虐待ではない
- 相手にもいいところがあったでしょ?
- 冗談って言ってるんだから真に受ける方がおかしい
- 親子なんだから、家族なんだから、夫婦なんだから、もう少しガマンしたら?
近年では法改正が進み、心理的虐待も「虐待」として認知されるようになっていますが、福祉・行政・警察・裁判所・弁護士などの肌感覚はまだ変わっていないと感じます。
日本っていまだに社会の根底・法制度に、性善説が根強いが強いからです。
※性善説(せいぜんせつ)
人間には生まれつき善の性質が備わっている、という考え方のこと
weblio国語辞典
悪意なく人を傷つける人、搾取(さくしゅ)する人はい驚くほど身近に、沢山います。
身に危険を感じる暴力、殺人事件が起きてないと警察は動いてくれません。
殺されてからでは遅いのに…
でも、自分が我慢し続ける人生なんてこれ以上イヤだし、もう耐えられない。
私の傷は私にしかわからない。
さらに、被害者の人権より加害者の人権が尊重される傾向が強いです。
誰になんと言われようと、自分とこどものことは自分で守るしかない、と気付いたのです。
また、これまでの経験を振り返ると、虐待・ハラスメントする人も毒親、機能不全家族で育っている人が多いと感じました。
さらに私は生育環境から、相手に尽くすことで自分の存在価値を見出し、
相手は私を支配下に置くことで自分の存在価値を見出し依存するという、
共依存の関係にあることに気づきました。
機能不全家族で育った共依存同士が引き合ってしまうんですよね…
でも自分の人生の責任は自分でしか取れない。
相談をして初めて、私は今まで一生懸命「人の責任を取ろうとしていた」と気づきました。
だけどどんなに私が頑張っても
- 自分の置かれている状況に気づかない人
- 自分と向き合おうとしない人
- 責任を相手に押し付ける人
- 心から変わる気がない人
こんな相手は変わりません。
むしろ「人を変えられる」「私が頑張ればどうにかなる」って思ってたのがおこがましい…
そして私が、あなたが、他人(親、家族、彼氏や彼女だとしても)の責任を取る必要はないのです。
ガマンし続ける理由はないし、自分がつらいと思ったら距離を置いても良いんです。
気づくのに30年もかかりましたが、気付いて本当によかったです。
自分を変えたい、と思ったのは子どものためでもあります。
「自分が親にされて嫌だったことはしない」と思っていても、無意識にしてしまう可能性が高い
と知ったからです。
子育てのお手本が親しかいないのだから、当たり前ですよね。
「こんなふうに育てた親が悪い!」「毒親のせいでこうなった!」と親を憎んでいても、何も変わりません…
子どもに関する悲しい事件の多さや凶悪事件を見ると、負の連鎖を止めるには、自分が気付いて行動するしかないのだと感じます。
結局、これまでの経験から何を学んで、どうしていくかを考え、行動しないと何も変わらない。
自分の経験を、これからの人生にどう活かしていくかが何より大切だと思いました。
まずは自分を癒してからね!
アダルトチルドレン卒業、ではないけれど
毒親、宗教2世、機能不全家族で育ち、アダルトチルドレンになってしまった私。
そのことに気付いたけれど、日々の生活に追われ、まだまだ「アダルトチルドレン卒業」とはなっていません。
人に頼ることが苦手な私は相談先で何度も二次被害にあい、相談もトラウマになりました…
ですが今は、時間はかかったけど良い支援者の方々に出会うことができ、少しずつ相談ができるようになっています。
ただ、長期間にわたるストレスが原因でうつ病、摂食障害を繰り返しています。
休まないとダメだよ!エネルギーが足りないんだから!って言われるけど、シングルマザーなので休めないのが現状です…
共依存になりやすい人は特に、1人ではなく複数の相談機関で支援者を増やすことがとても大切だと実感します。
そうでないとまた繰り返してしまうから。
また、共依存を怖がりすぎて「1人でどうにかしないと!」も危険です。(経験ずみ…やることが極端なんですよね…)
今、毒親や家族、DV、デートDV、彼氏や彼女のことで悩んでいる人に、少しでも私の経験がお役に立てればと思いつつ…
少しでも心が穏やかに、しなやかに生きていく方法をこれからも見つけたいと思っています。
ハンドルネームの由来
「むい」は老子の言葉「無為自然(むいしぜん)」からいただきました。
無為自然
どんな存在でも、自然のままにいれば、ただそれだけでいい。
わざとらしいことはせず、自然に振る舞えばいい(ジャッジフリーの思考)
人生に、上下も勝ち負けもありません 精神科医が教える老子の言葉
人と比べたり、良い悪いと考えるから辛くなる、ジャッジフリーな生き方ができたらラクになるよね。
老子が2500年前からそんな生き方を教えてくれているよ、っていう精神科の先生が書かれた本です。
そんな生き方ができたらなぁ…と「むい」にしました。
背中を押されたことば
ブログを始めようと思ったきっかけの一つに、東洋経済の記事がありました。
ユング心理学の専門家・山根久美子先生の著書からの言葉です。
一度ついた傷は消えない。けれども、その傷は、その人と他の人とを分けるものでもある。
東洋経済 不安を感じる人」の心がすっと楽になる考え方
いわば、傷は、その人をその人たらしめる。
私の経験は私だけのもので、他の誰とも同じではない…
この文章を読んで、今まで私は人の望む「誰か」を演じ続けていたけれど、私の傷やそこから考えたことが「私」なんだ、と認められたような気持ちになりました。
自分や他人が「もっと辛い人はいる」とジャッジしたり、気にする必要はないんですよね。
これもよく言われたんですよね…「あなたより辛い人はたくさんいるでしょ」とか。大きなお世話!!
当たり前のことなのに、ハッとさせられました。
だから「今さら…」なんて思わずに書いてみようと思ったのです。